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2022年10月30日礼拝説教

2022年10月30日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

へブル人への手紙2章1節~4節 「押し流されないために」


1. 押し流される心

「私たちは聞いたことを、ますますしっかりと心に留め、押し流されないように」と教えられています。キリスト者は、十字架の御業を通して、主イエスが救い主であることを信じ受け入れた人々です。それは、罪赦され、キリストにある新しい心をいただいている人々のことです。その人々には、新たな望みと目的、目標が与えられます。神の国が到来することを知り、地の塩、世の光として、神の栄光をあらわし、神の国への望みを持って生きるのです。ここに人本来の在り方が与えられていきます。しかし、そこから離れてしまうことがあります。逆風が吹き始めると、新しい心が押し流されてしまうのです。


2. 漂流する信仰

私たちには神の前に罪があり、その当然の処罰を受けます。それが死という結果であり、この世界で起こる理不尽な現実、またこの世界の抱えた痛みと絶望でもあるでしょう。しかし、そこから私たちは救われます。主イエスの十字架のゆえに贖われるのです。そうだとするならば、その救いをないがしろにした場合、私たちは処罰を逃れることができるのでしょうか。この世界に救い主が来られ、新たな時代に入り、私たちは神の国の望みへとすでに踏み出しています。しかし、押し流され、もとの状態に戻ってしまうならば、それほど惜しいことはありません。自分にとって信仰が益をもたらすものではなく、また教会もそうではないと感じると、私たちの信仰はすぐに漂流をし始めるのです。


3. 押し流されないために

私たちの信仰の土台は神の恵みです。その恵みの根拠は神の愛にあります。いかにこの世界に人の罪、悪の現実があったとしても、主イエスの十字架を通して示された神の愛が、その傷をいやし、神の国を到来させてくださるのです。教会は、この神のビジョンと希望を指し示すところです。それは私たちの力でできることではありません。私たちが、するべきことは、この救いの出発点に立ち続けていくことです。神のしるしと力あるわざは、私たちの日常の中に、様々な形でなされます。それは時に、私たちが思い描くようには起こらないかもしれません。そのことに気づく術は、主イエスから流れ出る、神の愛に私たちの思いを集中することにあります。この愛と恵みに、生かされてまいりましょう。

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