2022年11月13日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
へブル人への手紙2章10節~18節 「私たちの兄弟となられた方」
1. 長子となられたイエス
聖書において、神との関係を表わすときに家族的な表現を用います。最も知られているのは、「父なる神」という表現でしょう。イエスと神との関係では「父と子」と表現します。私たちと神との関係において、「父なる神」と言います。しかし、神と私たちとの間には厳然たる違いがあります。私たちは経験的な範囲を越えて、さらに神理解を深める必要があります。ここで詩篇22篇が引用され、イエスが私たちのことを、兄弟姉妹であると言われたことが明らかにされています。私たちは、イエスによって神の家族とされ、イエスを長子とする兄弟姉妹とされています。キリストにある救いが、兄弟姉妹とされている、ということばの中に込められているのです。
2. 死からの救い
神は私たちを、イエスの十字架の苦しみを通して完全な者とされました。このイエスを通してあらわされた神の御業は、「万物の存在の目的であり、また原因でもある神に、ふさわしいことであった」と著者は語ります。ここに神の創造の業の目的があります。イエスは、私たちと同じように肉体を持たれ、死の力を持つ者を滅ぼされました。そして、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれた私たちを、自由にしてくださいました。イエスは、すべての点で兄弟姉妹たちと同じようになってくださいました。そして罪を背負われ、神の裁きを受け、私たちの身代わりとなってくださったのです。死からの救いこそ福音なのです。
3. 大祭司イエス
アブラハムの子孫とは、新約聖書では信仰を持つ人々を指しています。イエスを救い主とし、神に立ち返る人々を救うために、イエスは来てくださいました。この救いは現在進行形のものです。救いは、信じて新たないのちを生きることです。罪赦され、死は滅ぼされたとはいえ、私たちが、いまだこの世界で生きるという現実が目の前にあります。そこで私たちは労苦します。しかし、だからこそ、そこに神のいのちの光は輝き、神の偉大さが表されるのです。その私たちに助けが与えられています。それが大祭司なるイエスのとりなしです。主イエスは、試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができます。イエスは、苦しみをともに担ってくださり、私の心をよく知ってくださるのです。
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