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2022年5月1日礼拝説教

2022年5月1日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

ヤコブの手紙4章11節~17節 「謙遜を学びながら」


1. 悪口

教会にまっすぐにヤコブは語ります。「兄弟たち、互いに悪口を言い合ってはいけません。」互いに愛することを実践するのは、ただ良いことをするということだけに留まりません。「悪口」とは、悪い噂、陰口、中傷なども当てはまります。古代から現代にいたるまで人は悪口を言い続けています。それは教会の中であってもそうなのです。なぜこのようなことが主イエスを信じる者たちの間でも起きてしまうのでしょうか。


2. 例外

これは私たちの教会も例外ではありません。「例外」をつくることにこそ落とし穴があります。「自分たちだけはそうはならない」のではありません。私たちは正しさに立とうとすればするほど、自分は間違っていないと思い込み、自分とは違う人に対して批判し、受け入れられなくなっていってしまいます。しかし、正しい方、裁き主、王なる王はただ一人なのです。私たちは主の前の謙遜さを失ってはなりません。


3. 謙遜

さらにヤコブは私たちの言動に踏み込んできます。ヤコブは急に商売の話を始めました。しかし、ここでもこれまでの話の中心点はまったくぶれていません。それは「謙遜に生きる」という問題です。「今日か明日、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をしてもうけよう。」これは自分の考えに従って進む人の姿です。これを言っているのは、神を知らない人ではありません。主イエスに従うと口にしている人々がこのように言っているのです。私たちは気が付けば自分の考えや思い、計画を優先しています。そのような時に「主のみこころであれば」と言うべきだとヤコブは教えています。私たちは迷いながら、心に不安を抱えながらも、だからこそ主に祈り、御力を求め、主の正しさがなんであるか問いつつ、歩んで行くのです。私たちはなすべき良いことが示されているのに、そのように行えない者でしょう。だからこそ今すぐに主の前にへりくだり、「キリストの思いを持って」歩ませていただきましょう。

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