2022年5月22日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
ヤコブの手紙5章12節~16節 「正しい人の祈り」
1. 誓うということ
ヤコブは「誓うことはやめよ」と勧めています。レビ記に「偽りの誓い」というものがあります。ここでヤコブが触れているのは、このような誓いのことを指しているのかもしれません。たとえ神の名を上げなくても簡単に誓うならば、キリスト者としての誠実が問われます。これは言動の一致の問題です。そしてそれは神の前の誠実さが問われているのです。またキリスト者の誠実は良い実を結ぶ基となることでしょう。
2. 祈りの勧め
ヤコブは苦しみの中で祈ることを勧めています。また喜んでいる人がいれば、その人は賛美するようにと語られています。賛美と祈りが近いことが分かります。ここにも心とことばの一致があるのです。ヤコブは一人で祈り、一人で賛美するようにとは語っていません。教会に祈りと賛美を勧めています。これは「あなたがた」の祈りであり、賛美なのです。また病と罪のことが合わせて記されています。当時、罪と病は密接に関連していると考えられていました。病のうちにある人は主の癒しをともに祈り、また罪を犯して、苦しみ悩む人は、悔い改めて回復へと導かれるように、ともに祈るのです。ここにともに祈り、賛美する教会の姿があります。
3. 正しい人の祈り
正しい人の祈りは働くと大きな力があるとヤコブは記しています。この正しさとは、罪を言い表し、神の前にことばも行いも一致しているということです。ヤコブは、互いに罪を言い表しなさいと勧めています。これは互いに懺悔しなさいということではありません。罪を言い表すのは人に対してではなく、神に対してなのです。私たちはみな主の十字架を必要としています。自らの罪深さゆえに主の前にへりくだり、与えてくださる救いの恵みを感謝して受け取るほかないのです。ともに神の前に出て罪を認め、救いに与り、ともに心から感謝し、賛美する、そのことまでがこのみことばに入っています。私たちはみな主によって罪赦された者たちです。その恵みに立って、互いのために、病と罪に悩み苦しむ互いのために祈ってまいりましょう。
Comments