2023年11月19日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
ルカの福音書7章1節~10節 「これほどの信仰」
1. 百人隊長
ここに記されているのは「これほどの信仰」とたたえられた人の話です。すばらしい信仰、そのようにキリストから言われる信仰とは、いったいどのようなものでしょうか。ここに登場するのは「百人隊長」です。彼は異邦人です。ローマ軍の中で高い地位にありました。場所は「カペナウム」という町です。この百人隊長の部下が病気で死にかけていました。そこでイエスのうわさを聞いた彼は、イエスのところにユダヤ人の長老たちを送って、しもべを助けてくれないかと懇願します。ユダヤの長老たちが熱心にイエスに懇願するほどに、この隊長は信頼されていた人物でした。
2. 「ただ、おことばを下さい」
彼が求めたのは「しもべを救って欲しい」という願いでした。なぜ彼自身がイエスのもとに来なかったのでしょうか。彼はイエスを「真に神の人」と認識していました。異邦人の自分では、地位があっても、イエスの前に出ることはできないと思い、ユダヤの長老たちに頼んだのでしょう。イエスはその願いを聞き、百人隊長のもとへと向かいます。しかし、イエスが家の近くに来た時に、百人隊長は友人たちを使いに出し、こう伝えます。「主よ、わざわざ、ご足労くださるには及びません。あなた様を、私のような者の家の屋根の下にお入れする資格はありませんので。」そして、彼は「ただ、おことばを下さい。」と願ったのです。この信仰にイエスは驚嘆したのでした。
3. 神のことばを信じるということ
これはどのような信仰であったのでしょうか。百人隊長は、そもそもイエスにどうしてもらうことを願ったのでしょうか。彼は、イエスの「権威」をはっきりと知っていました。私たちの考えるよりもはるか高い次元にあるイエスの権威です。天地創造をことばでされた神の権威です。百人隊長は、その権威をイエスに見ています。彼はイエスに対して「主よ」と言っています。主なるイエスのことばをいただく。その言葉は、その通りになると彼は信じています。結局、百人隊長はイエスと直接出会っていません。しかし、彼はイエスが誰であるのかを、誰よりもよく分かっていたのです。キリスト教の信仰、それは「神のことば」を信じる信仰です。それは目に見えないことを信じることでもあり、何よりも、すでに神のことば通りにこの世界に来られた主イエスを信じる信仰です。この百人隊長のように、神のことばを受け止め、そしてその言葉によって生きる、それがこの信仰なのです。
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