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2024年11月10日礼拝説教

2024年11月10日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書9章27~36節 「神の国の広がり」

 

1. 目の見えない二人の人

目の見えない人々がイエスの前にあらわれます。イエスは彼らの目を開きました。この出来事は、救い主の預言が成就する特徴的な出来事として語られています。病の癒しが罪の赦しとつながっているように、目が開かれることも、心の目が開かれ真の神を見いだすこととつながっています。しかし、ここでイエスはこの出来事を「だれにも知られないように気をつけなさい」と命じました。なぜ、このようにイエスは命じたのでしょうか。聖書における奇跡は、ただのセンセーショナルな出来事ではありません。それは神の業であり、神の御手の痕跡です。それを見たときに、私たちはこの奇跡には意味があるのだということを知らなくてはなりません。そして、その意味を、自分の側に引き寄せるのではなく、神の方へと自分を近づけていくことが求められているのです。

 

2. 奇跡を通して知ること

奇跡には代償が必要です。この後イエスが指し示そうとしているのは、まさにその部分です。奇跡を経験した彼らに求められているのは、出て話を広めることではなく、彼らがイエスのもとにとどまることだったのでしょう。彼らはその奇跡の意味をまだ知らないのです。私たちが知らなくてはならないことは、「神の国と神の義」です。それはイエスを主として従っていくことであり、私たちの視点を、まことの神の側に置き、この世界を見ることでしょう。イエスがこの世界を深くあわれまれた思いを、私たちも共有したいと思うのです。

 

3. 神の国の広がり

この出来事の後、別の人がイエスの前へと来ます。人々はイエスの力を目の当たりにして驚きました。しかし、パリサイ人たちは「彼は悪霊どものかしらによって悪霊どもを追い出しているのだ」と言いました。ここで反論する代わりに、マタイはイエスの姿を印象的に記しています。「群衆を見て深くあわれまれた。彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていたからである。」そして、すべての町や村をめぐり、会堂で教え、福音を宣べ伝え、あらゆる病、わずらいを癒されました。ここに描かれているのは、神の国の広がりです。そして今も、この神の国は広がり続けているのです。

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