2024年12月22日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
ルカの福音書2章1~7節「クリスマスの物語」
1. ヨセフとマリア
イエスが生まれた出来事を辿ると、それはかなり悲惨な状況であったことが分かります。しかし、そこにこそクリスマスの本当の意味が込められています。ヨセフとマリヤは、ベツレヘムという小さな町に上って行き、男子の初子を産み、布にくるんで飼葉桶に寝かせました。しかし、それは簡単なことではありませんでした。ヨセフもマリヤも若く、マリアの妊娠は誰が父親かわからないとうわさされていました。そこに人口調査という国からの命令があり、二人はナザレからベツレヘムへの旅を強いられました。ベツレヘムで待ち受けていた現実は過酷でした。それは「宿屋には彼らのいる場所がなかった」という現実です。この言葉に、彼らの置かれた立場や状況がよく表わされています。彼らには一晩だけでも安心して過ごす場所はどこにもなかったのです。
2. 救い主の誕生
二人は周囲の人々からは顧みられず、さげすまれた形で、お腹の子はついに誕生の時を迎えることになります。そして飼葉桶に寝かされました。当時の飼葉桶は木ではなく、石か地面を掘ったものでした。その冷たく、みすぼらしい飼葉桶にイエスは生まれたのです。それが私たちに与えられた救い主イエス・キリストでした。人がいる場所、暖かい場所に、救い主の生まれる場所はありませんでした。しかし、どうして神はこのような形で、救い主をこの世界に送られたのでしょうか。イエスが生まれた場所は、暗く、冷たく、硬く、寂しく、卑しい場所でした。それが私たちのこの世界の抱えた負の現実なのです。そしてそれは、私たちの内に潜む影の部分でもあるでしょう。私たちの抱えた闇、そして世界の闇、そこに救い主は来られたのです。
3. 神の愛のあらわれ
しかし、飼葉桶に寝かされたイエスがどのようにして、この暗やみを変えるのでしょうか?イエスが来られたのは、私たちを闇から救い出すためであり、私たちの抱えた闇を、神の愛によって光へと変えるためです。神が神であることを断念し、私たちの低さにまで降られたそのイエスの姿こそ、神の愛のあらわれです。飼葉桶のイエスが訴えかけるのは、神の狂おしいほどの愛なのです。これほどまでに、私たちの側に寄り添われる方はいません。そして、そこは私たちがすぐに行くことのできる場所でもあるのです。
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