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2024年5月19日礼拝説教

2024年5月19日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書6章10節 「御国が来ますように」

 

1. 第二の祈り

二番目の祈りは、「御国が来ますように」です。「御国に行けますように」「御国へ入れますように」という祈りではありません。神はこの世界を良きものとして形造りました。私たちの中にもその面影があります。しかし、すでにこの世界は、すばらしいものだけで彩られた世界ではないことも明らかな事実でしょう。この世界は傷み、そして病んでいます。私たちは、何に向かって生きるのかで、異なる歩みをします。キリストは「御国が来ますように」と祈ることを教えられ、望まれました。御国とは何でしょうか。それは「神の国」とも表現されます。それは「神の完全な支配」を意味しています。この祈りは、この場所に神の国が到来することを切に祈る祈りなのです。

 

2. 三つのこと

この祈りによって三つのことが示されます。一つは、目の前にある神の国とは程遠い現実を見つめ続けるということです。そこには痛みがあり、苦しみがあり、人の不完全さがあります。その現実から目を逸らして、「御国が来ますように」と祈ることはできません。「まず私のうちにあなたの支配が来ますように」そう祈らされるのです。第二に、この祈りは私たちのゴールを示します。神の国は、自分たちだけが幸いな国ではありません。私たちが祈り求めるのは「神の国」です。そこは、神が完全に支配する国であり、正義と公正、愛と憐れみ、死ではなくいのちに溢れたところです。この世界の危機的な状況を覚えて、私たちはますます神の国がここに来るように祈ることへと導かれています。「神の国」それが、私たちの真のゴールなのです。

 

3. 御国を待ち望む生き方

三つ目は、この祈りは生き方のガイドとなる、ということです。目の前にある「神の国」とは程遠い現実に対して、この祈りは「あきらめよ」とは教えていません。他の誰かではないあなたが、そしてあなたがた教会が、ここに神の国が来るように祈り始め、その祈りのうちに生きよ、と語られているのです。御国が来ますようにと祈ることは、分離している神の側と私たちの側とをつなぐ祈りです。この地で「御国が来るように」と祈るのは、この地に神の国が到来するからです。この場所に、私たちは神の国を迎えるのです。その間をつなぐ方こそ、主イエス・キリストです。私たちの現実と神の国とをつなぐ確かなもの、それがキリストの十字架と復活なのです。私たちは今日も「御国が来ますように」との祈りをささげてまいりましょう。

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