2024年9月15日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
マタイの福音書8章14節~22節 「向こう岸へ」
1. イエスの奇跡
次は弟子のペテロの姑の癒やしです。熱を出して寝込んでいる姑にイエスは触れ、病を癒やされます。さらに夕方になると、人々は悪霊につかれた人々をイエスのもとへと連れて来ました。これらはすべて、イエスの救い主、メシアであることを証明するための奇跡です。ここでイザヤ書が引用されています。「彼は私たちのわずらいを担い、私たちの病を負った。」この一連の出来事は旧約聖書の預言の成就であると受け止められました。イエスの癒やしは、ただ病が治ったということではありません。この癒やしは、悪霊からの解放であり、それは罪からの解放と自由を意味しているのです。
2. 十字架の代償
イエスの奇跡は、主に病の癒やしであり、それは罪にかかわるものです。それには代償が必要となります。イエスはあの十字架上でその代償を支払うことになるのです。私たちの身代わりとなるためにイエスは来られました。そして十字架上で贖いを達成されたのです。この数々の奇跡もあの十字架へとつながっています。イエスの死がなければ、罪の赦しも解放も自由もなかったのです。
3. イエスの招き
ここで問題となる箇所が出てきます。イエスは向こう岸にわたるように命じられます。それはイエスに従うか否かが問われることでした。そこに二人の人が出てきます。一人は律法学者、もう一人は別の弟子でした。律法学者は「あなたがどこに行ったとしても、私はついていきます」と言います。その言葉に対して、イエスは「人の子には枕するところすらない」と語られました。それは、イエスの歩まれる道の厳しさを表しています。さらに、別の弟子は「主よ、まず行って父を葬ることをお許しください」と言います。しかし、イエスは何よりも優先するべきことは、私に従うことだと告げるのです。この切迫感にあるのは、イエスに従うことへの強い招きなのです。
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