top of page
検索

2025年3月16日礼拝説教

  • mbchurch
  • 3月16日
  • 読了時間: 2分

2025年3月16日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書12章33節~42節「木の良し悪し」

 

1. 良い木と悪い木

イエスは、木の良し悪しはその実によって分かると語り、パリサイ人たちを「まむしの子孫」と厳しく非難しました。彼らの言葉は無益であり、彼らの口にする言葉によって人は義ともされ、不義ともされると述べています。パリサイ人たちは律法を重視していましたが、神の御心ではなく、自分たちの正しさに固執していました。

 

2. しるしを求める者たち

パリサイ人たちはイエスに「しるし」を求めましたが、イエスは「悪しき時代はしるしを求めるが、与えられるのはヨナのしるしだけである」と答えました。ヨナが三日三晩大魚の腹にいたように、人の子も三日三晩地の中にいることを示し、後の十字架と復活を予告したのです。さらに、異邦人であるニネベの人々が神を認めたことを引き合いに出し、彼らのほうがパリサイ人たちよりも、真に神を求める姿勢があったのだと指摘したのです。

 

3. 信仰の本質

現代において、私たちの生活は、ますます便利になり、また物であふれかえっています。そのような中で、本質的なこと、人生の中心や生きる土台というようなことは考えなくなっています。しかし、だからこそ、むしろ、より本質的なことに目を向けるべき時代になったのではないでしょうか。イエスは、今日私たちに挑戦をしています。あなたは良い実をならせることのできる、良い木となっているのか。あなたの心の倉からは、良いものが引き出せるのか。この世界を見渡したときに、暗い前兆で満ちているのではないか。私たちは、そのことに気が付いたならば、すぐに主のもとへと行き、父なる神の方へと向き直らせていただましょう。キリストの十字架を見上げ、私たちが罪から救い出されていること、キリストとともに、父なる神へと向かって歩んでゆけること、何よりも、神のことばという決して崩れ落ちることのない土台が与えられていること。それらが、すべて主の恵みなのだということに気が付かされてまいりましょう。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年4月6日礼拝説教

2025年4月6日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新 マタイの福音書13章1節~9節「キリストの問いかけ」   1. イエスのたとえ イエスは船の上から群衆に向けてたとえ話を語りました。「見よ。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。」そして、幾つかの種の話が出てきます。一つ...

 
 
 
2025年3月30日礼拝説教

2025年3月30日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新 マタイの福音書12章43節~50節「神の家族とされる」   1. 汚れた霊のたとえ イエスは汚れた霊のたとえを語られました。汚れた霊が人から追い出され、安住の地を探しますが、見つからず、元の場所に戻ると、そこは...

 
 
 

Comments


RECENT POSTS:
SEARCH BY TAGS:
bottom of page