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2025年3月9日礼拝説教

  • mbchurch
  • 3月16日
  • 読了時間: 2分

2025年3月9日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書12章22節~32節「聖霊に対する冒涜」

 

1. イエスの奇跡とパリサイ人の反応

イエスは、悪霊につかれた目の見えず、口もきけない人を癒やされました。これを見た群衆は、「もしかすると、この人がダビデの子なのではないだろうか」と驚きました。「ダビデの子」とは、救い主(メシア)としての称号であり、旧約聖書に預言されていた「油注がれた者」、すなわち神の霊が注がれた王を意味します。しかし、パリサイ人たちは「イエスが悪霊を追い出しているのは、ベルゼブルの力によるものだ」と非難しました。パリサイ人たちは、もしイエスを受け入れるならば、彼らは自分たちの律法主義的な考えを捨て、悔い改めなければならなかったのです。

 

2. イエスの反論と神の国の到来

イエスはパリサイ人たちに反論しました。「どんな国でも分裂して争えば荒れすたれます。もし悪霊のかしらが悪霊を追い出しているのなら、仲間割れしたことになります。」もし、イエスが悪霊の力で悪霊を追い出しているならば、それは彼ら自身が自滅していることになり、矛盾しています。さらに、イエスは「わたしが神の御霊によって悪霊を追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。」と言いました。すでに神の国はこの世界に拡大し、侵入してきているのです。ここでイエスは、「あなたはどちらの側につくのか」と彼らに、そして私たちにも問いかけています。

 

3. 聖霊に対する冒涜と私たちの応答

イエスは「聖霊に対する冒涜は赦されない」と語られました。これは、ただ「聖霊を否定すること」ではなく、神の御業を悪霊の業と断じることの危険性を示しています。聖霊の働きによって起こる良きことを否定し、それを悪とみなしてしまうならば、そこに神の国は訪れず、神の赦しもありません。では、私たちはどう生きるべきでしょうか?私たちを変えてくださるのは、自分の努力や知恵ではなく、私たちの内に働く聖霊の力なのです。「主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高く上げてくださいます。」(ヤコブ4:10 10)と語られています。私たちは、聖霊の働きを信じ、へりくだる心を持って神の御心に従うことが求められています。私たちの内に働く聖霊を信じ、神の御心を求めて従って歩んでいきましょう。

 
 
 

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